宗教も科学も元のはじまりは同じだと思っている
「わからないことを、わかるようにする」
おばけって、なぜ怖いと感じるんでしょう?
人間は「わからない=自分の理解の中で分類することができない」ことに恐怖を覚えます
あなたの目の前にりんごがあります
あなたはりんごを食べたことがあれば、その物体がりんごであることを理解し、味の想像もつきます(想像よりおいしいかも、というのは置いといて)
食べていいですよ、と言われて、お腹が空いてたら口に運ぶかもしれない
しかし、あなたの目の前に得体のしれない黒いどろどろとした液体が土鍋に入っていたらどうでしょう?変なにおいもする
これ食べていいよ、と言われて食べる人、いますかね?
これはちょっと極端な例でしたが、この「分からないもの」をひとつでも少なくしようというのが宗教であり、科学です。
その二つの大きな違いは確固たる実証実験があるかないか。ある方が科学ですね。
樹になってるりんごが落ちる。
風が吹いたら草が揺れる。
頭の良い過去の偉人の方たちが、いろんな法則を見つけてくれました。そのおかげで、わたしたちは「わからないこと」がだいぶ少なくなってる。つまり不安材料が昔に比べたら少なく快適に過ごせているってことです。もちろん昔のことは想像でしか感じられなくて、今を生きる人は本を読むことでしかその不安を感じることは出来ません。
なぜ地震が起こるのか、なぜ雨が降るのか、なぜ雨が降らないのか。今も確かな答えが出たわけでもないかもしれないし、制御も出来ていない(する必要もない)。でも、昔よりはなんとなく「わかって」、少しは対処できるようになってる。
え?人生全く快適じゃないって?
それは残念ながらたぶん科学では一生解明できないですねぇ。
はい、宗教の登場です。
どうしたら幸せになれるのか、なぜ人を殺してはいけないのか。あなたの「分からない」をわからせてあげマース!が宗教。一方、この科学でも「分からない」ことを、宗教に頼らず一生探求し続けるストイックな考え方が哲学です。
例えば、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問い。 科学(社会科学や生物学)的に答えれば、「集団の維持に不利益だから」「刑罰というリスクがあるから」「生存本能に反するから」といった、ドライな生存戦略の話になります。でも、これでは「心」が納得しませんよね。
そこで宗教の出番です。 「それは神様が決めた罪だからです」「殺せば地獄に落ちるからです」「全ての生命は繋がっているからです」 ……どうでしょう? 根拠は目に見えませんが、なんだか「分かった気」になれませんか?
宗教とは、いわば「思考の出口(答え)」をあらかじめ用意してくれるシステムです。
人間にとって、答えがないまま問い続ける「哲学」の状態は、暗闇の迷宮をライトなしで歩くようなもの。ものすごく体力が要るし、精神が削られます。だって一生終わらないんですよ。 一方で、宗教は「ここが出口ですよ」と光を照らしてくれます。その光を信じて歩みを止めれば、迷う苦しみからは解放されます。
つまり、「宗教とは心地よい思考停止」なんです。
言い換えれば、あなたの代わりに答えを考えておきました!みたいな。現代風に言えばタイパがいいのが宗教、タイパがクソ悪いのが哲学です。
「死んだらどうなるの?」という最大の恐怖(わからないこと)に対して、「天国に行けますよ」「生まれ変われますよ」というパッケージ化された答えを受け入れる。その瞬間、脳は「あ、これ以上考えなくていいんだ」とシャットダウンします。
これは決して悪いことではありません。 前回のブログでも書きましたが、人間は弱いものです。一生、暗闇の中で「なぜ?」「どうして?」と問い続けられるほど強くはありません。 どこかで思考を止めて、「これでいいんだ」と納得しないと、日常を善く生きることすらままならないからです。
哲学って何となく良いもののような気がするし、「哲学的思考してます」とか言ったら尊敬されそうじゃないですか?でも、哲学者以外の人はどこかで思考停止は絶対した方がいい。というか、ほとんどの人は無意識にしてます。哲学的に考えることは要所要所ではいいと思うし、そう考えるクセはいいと思うんですけど、あらゆることを哲学的に考えてたら他のこと出来ないですよね笑
それが出来る人は哲学者になったらいいです。そうじゃない人はある程度でいいんじゃないかなってわたしは思います。だから、「思考停止」と聞くとダメな奴みたいな印象がありますが、ほどほどに思考停止はいいことなんです。
ただ、今のわたしが思うのは、「答えを外からもらう(宗教)」のか、「自分で意味を書き込む(自力)」のか、その違いは大きいということです。
「わからない」という恐怖から逃れるために、用意された出口に飛び込むのか。 それとも、走り続けながら、自分だけの辞書に「自分なりの答え」を刻んでいくのか。
科学でも解明できず、宗教の答えにも満足できない。そんなワガママなわたしのような人間は、泥臭く「経験とトライ&エラー」を繰り返して、自分だけの哲学を走りながら作り上げていくしかないんでしょうね。
結局、人生のハンドルを神様に預けるのか、自分の手で握り続けるのか。 その決断こそが、人生の「意味付け」そのものなのかもしれません。

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