やった!充電コードが壊れた!ありがとう!

基礎思考。運がいいと思うかどうかも、まさしく基礎思考である。
宝くじに1億円当たったというような、客観的にもわかりやすい運の良さもあると思うが、多くの出来事というのは日常に転がっている。そしてそれらの捉え方が基礎思考であると思う。

例えば私(農家)の例で言うと、日曜日、福島まで往復500キロ位の道を運転して剪定セミナーに参加し、帰り道は猛吹雪でホワイトアウト。
精神的にも肉体的にも疲弊したまま庄内に帰ったら除雪の仕事があったため、一睡もせずに除雪作業に臨んだ。
6時間に及ぶ除雪作業を終えて数時間睡眠したが、昼夜逆転しているため頭がぼーっとしていた。
そしてその日は家族の晩御飯を作り、またその日の夜に除雪出動。結局夜は寝ずに出動した。

そして翌日は朝息子の保育園送りがあったため3時間しか眠れなかった。
息子にご飯を食べさせたり、洗濯物をしたり部屋の掃除をしたりして畑に向かった。
頭は引き続きすっきりしない状態。
4〜5時間柿の樹の剪定をした。
そしてその日の晩、出版作業をしたかったが、何故かパソコンが充電されない。
寝不足と疲弊もありかなりイライラして家族にも心配された。
結局パソコン作業は少しもできないままその日は寝た。

前提が長くなったが、この出来事を「出版作業ができなかった」と捉えるのか、「1日遅れたが睡眠時間と体力を十分に回復する時間を取れて、翌日以降の活力にする時間になった」と捉えるかが、基礎思考のまさしく良い例のように私は思う。
起きている現象は同じ。
それをどう捉えるか、それは自分次第と言うほかないし、それが基礎思考。

会社をクビになったという出来事だけ見れば、一般的には悲しい、辛い、不安というイメージがつきまとう。
が、これだって考え方によっては「時間に縛られずに済んだ」「作業に使う時間が確保できた」と捉えることもできる。
どちらが悪いということではなく、どう生きるか、どう生きたいかによって、自分の人生はいかようにもコントロールできるのかもしれない。
もっと言えば自分の感情、考え方、価値観さえも自分次第なのかもしれない。
もちろん自分の外にあることについては、コントロールできないことももちろん多い。
しかし自分がどう思うかは他人にはコントロールできないし、自分にしか舵取りできないことである。

私はとても運が良い。
昨日の例で言えば、この二日連続深夜の除雪で疲弊した体で出版作業をして、また睡眠時間を確保できていなかったら、今日からの剪定作業や出版作業にきっと支障が出ていただろう。
パソコンの充電コードよ。
壊れてくれてありがとう。

【ラーメン屋での出来事と気づき】 大好きなラーメン屋に並んでいた時のこと。私は何度も来たことがあり、混雑していたので店内に入って名前を書いて外で待っていた。すると、ある男性がやってきて「ここが最後尾ですか」と聞かれたので、とっさに「はい」と答えた。しかし、近くにいた別の男性が「店の中で名前を書いて待つんだよ」とその男性に教えてあげていた。

その光景を見て自分は反省した。確かに聞かれたことへの回答としては間違いではなかったが、このラーメン屋に並ぶという本質からはずれた回答である。なぜなら、「最後尾である=並んで待つタイプの店」ということであるが、この店はそうではなく、記名制だからいくら列に並んで待っていても何の意味もない。状況を目の当たりにして、自分は反省した。

なぜ最後尾かと聞かれたときに、つい数分前に自分がした記名のことや、その店が記名制で待機する店であることを、とっさに想起できなかったのだろうかと、少しそのことで考え込んだがすぐに思考が切り替わった。今回その男性に対してちょっと申し訳ないことをしてしまったけれども、自分にとっては良い経験になったと思うことにした。

次に似たようなことがあったとき、きっと自分はより理想的な回答をすることができるだろうし、もし自分でない人が「最後尾か」「はい」の問答をしているのを目の当たりにしたときに、自分から進んでより良い回答に導いてあげることができるのではないだろうかと考えた。

起きている現象は同じ。それを何とも思わないのもよし。反省するのもよし。1日中くよくよするのもよし。それぞれどれもその人の捉え方である。しかし、現象とその捉え方は本当に様々で、いつまでもくよくよしていても何も始まらないし、時間は流れるし、人生は続いていく。それならば少しでも前向きに捉えられるようにしていきたいと私は思う。これからの人生はまだまだ長いのだから、それに最初から完璧に振る舞える人もそんなにいないと思う。完璧に振る舞えているように見える人は、意外と過去にいろんな失敗や経験をしているのかもしれない。それで良いのだ。

いきなり100点なんて取れっこないし、取る必要もない。大事なのはより100点に近づきたいと思う気持ちと、そのための前向きな気持ちだろう。100点を目指して90点だったときに、ものすごく喜ぶ人もいれば、「あと10点なぜ取れなかったのだ」と落ち込む人もいるだろう。その落ち込みが次へのバネになれば良いのだが、それを機に学びを辞めてしまうのは非常にもったいないと思う。

ただラーメン屋に並んだときの出来事だが、私はそんなことを考えながらとてもおいしい坦々麺を一杯いただいた。よし剪定頑張るぞ。

【自分を大切にする考え方】 自分の機嫌は誰かにとってもらうものじゃなくて、自分でとるもの。誰かに幸せにしてもらおう、じゃなくて自分で勝手に幸せになる事。

“好き”は、常に最高潮の気持ちじゃなくてもきっといい。自分を構成する1ピースである事実は変わらないのだから。

自分を愛せないと誰かの事を愛せるわけがないからね〜。

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